今回は若い頃からモデル・歌手・女優として活躍し、現在はいい感じの雰囲気を醸し出している女優・内田有紀さんについてお伝えします。
内田有紀さんは今現在、柏原崇さんといい感じの関係です。
そこで柏原崇さんとの馴れ初めと再婚と妊娠や子供について。
また、以前結婚をしていましたのでその夫・吉岡秀隆さんとの結婚と離婚についても。
以下で詳しく見ていきたいともいます。
目次
内田有紀のプロフィール
本名:内田有紀(うちだ ゆき)
誕生日: 1975年11月16日(47歳)
身長:165cm
血液型:O型
出身地:東京都中央区日本橋
学歴:藤村女子高等学校・中退(偏差値45~55)
デビュー:1989年
事務所:バーニングプロダクション
主な作品:ドラマ「時をかける少女」・ドラマ「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」など
内田有紀さんは渋谷区広尾といういい感じの場所で生まれました。
実家が裕福で金銭的には幸せの毎日だったようです。
有紀さんが小学校6年生のときに、お母さんがモデル的なものにスカウトされ一緒について行ったそうです。
そういう関係上、1989年・中学2年生のときから有紀さんもモデルの仕事を初めます。
芸能人とし有名になるべくしてなった感じがします。
1992年・17歳のときにフジドラマ「その時、ハートは盗まれた」で女優としてデビュー。
同じ年にユニチカの水着キャンペーンモデルにも選ばれています。
このとき高校2年生で仕事と学校が忙しかったので、高校を中退したそうです。
1994年にはドラマ「時をかける少女」で初主演し、さらに歌手としてもデビュー。
曲は「TENCAを取ろう! -内田の野望- 」という企画モノ的なCDでした。
さらにフジテレビの「ビジュアルクイーン」にも選ばれて少しずつ天下を獲っていきます。
そんな考えもあり2000年1月・25歳のときに「北区つかこうへい劇団」に修行的な感じで入団します。
その時劇作家つかこうへいさんにこんなこと言われたそうです。
「芝居は心で感じ、演じるもの」
真面目に演技の勉強をしたかったそうです。
ただ、その2年後の2002年には芸能界を引退します。
引退作品は2002年9月のフジドラマ「北の国から 2002遺言」
その「北の国から 2002遺言」で共演した「吉岡秀隆」さんと結婚し引退したのです。
内田有紀の現在の結婚相手の旦那は柏原崇!?
内田有紀さんの事実上の旦那は柏原崇さんです。
事実上と言うのは婚姻届を区役所に提出していないからです。
なので法律上の旦那ではありません。事実婚です。
柏原崇のプロフィール
本名:柏原崇(かしわばら たかし)
生年月日: 1977年3月16日(45歳)
身長:178cm
血液型:A型
出身地:山梨県
デビュー:1994年
事務所:10 BEANS
主な作品:ドラマ「白線流し」、ドラマ「イタズラなKiss」他
柏原崇さんは1993年の 第6回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを受賞したことで芸能界入り。
柏原崇さんといえば、ドラマ「白線流し」でブレイク。
今はドラマ「イタズラなkiss」をきっかけに中国でもブレイクをしている俳優さんです。
ドラマ「白線流し」で演じた優等生「長谷部優介」役が印象に残っている人も多いようです。
順調にイケメン俳優としてキャリアを積んでいた柏原崇さん。
でも2004年に傷害事件を起こしてしまいます。
路上にはみ出し駐車をしたうえで洗車をしていた人物とトラブルとなったことが原因だったそうです。
当時はタレントの畑野ひろ子さんと結婚したばかりでした。
この傷害事件の影響もあったようで、事件から2年後に離婚してます。
この事件や離婚がきっかけで「柏原崇=トラブルメーカー」といった印象が強くなってしまったようです。
そのため地上波ドラマといった目立つ仕事からは遠ざかってしまいました。
馴れ初めはビッグウィング
内田有紀さんと柏原崇さんの出会いは、2001年にドラマ「ビッグウィング」で共演したときからです。
当時の有紀さんの年齢は26歳。柏原さんは24歳で、有紀さんが2歳年上。
出会ったことは出会いましたが、当時は特別深い関係ではありませんでした。
深い関係になったのはその8年後。
2009年に友人を介して再会したことで、交際へと発展したそうです。
内田有紀さんと柏原崇さんはバツイチ同士。
そういう意味では共有できる間柄。
吉岡秀隆さんのようにいい意味で束縛はないのかもしれません。
数々の熱愛スクープで再婚!?
2009年の交際から現在まで、度々仲睦まじい様子がスクープされています。
2011年には銀座の舞台を二人で観に行ったり、2012年には東京競馬場でデータとしてるところをキャッチされました。
東京競馬場は広いので、心も大きくなって二人を見るほうが照れるほどいい感じだったそうです。
和食レストランで食事を最終レースまで観戦したそうです。
最終レースまで観戦できる女性の有紀さんは相当柏原さんに惚れている感じがうかがえます。
さらに2013年には都内のラーメン店で軽く食事をしたあとに二人でマンションに帰宅。
その模様もキャッチされました。
2015年にも柏原さんが参加したフットサルの試合を有紀さんが観戦したそうです。
試合が終わると柏原さんが自動車で有紀さんを迎え、自宅に帰ったそうです。
2016年には中目黒のアジア料理店で二人仲良く食事をしていたそうです。
その食事後もいつものように自宅のマンションに二人で帰ったところをキャッチされました。
2011年・2012・2013年・2016年・2016年と複数回ラブラブデートが目撃されてます。
こんなに仲睦まじい様子が写真週刊誌に撮られている二人。
なぜ再婚しないのか。
内田有紀が柏原崇と結婚しない理由はトラブルメーカー!?
再婚しない理由は2つです。
- 柏原崇さんがトラブルメーカーだから。
- 吉岡秀隆との離婚トラウマ
柏原崇さんトラブルメーカー!?
柏原崇さんはトラブルメーカーとして有名。
なので内田有紀さんの事務所が猛反対しているそうです。
有紀さんは「嫌われないように笑顔でいる」という八方美人を卒業したと以前言っていました。
事務所の反対を押し切って再婚してもいいもの。
でも、そこは社会人。
仕事がなくなると生活が厳しくなります。
なので「事実婚」でもいいと思っているかもしれません。
吉岡秀隆との離婚トラウマ
内田有紀さんは吉岡秀隆さんと1回離婚してます。
その男性不信のようなトラウマが残っているので結婚に踏み切れないというものです。
このダブルパンチが有紀さんの再婚という行動の足かせなっているというのです。
ただ現代は、事実婚というのがいい感じに浸透してきています。
有紀さんも柏原さんも子供がいません。
子供がいなければ役所とかの手続きもそれほど多くない。
結婚はあくまで区役所に婚姻届を提出する約束です。
なので再婚にそれほどこだわっていないのかもしれません。
内田有紀の妊娠と子供
内田有紀さんは柏原崇さんといい感じの関係です。
でも再婚していないので妊娠もしていませんし子供はいません。
一方で、柏原崇さんと交際する前は吉岡秀隆さんと結婚していました。
その時に妊娠し子供を出産していると言われています。
しかし元旦那の吉岡秀隆さんとは色々と問題のあったようで子供もいません。
妊娠しない理由はダウン症!?
内田有紀さんは現在、妊娠はしていません。
それは今でもドラマなどで活躍しているので妊娠の兆候が見られないからです。
また年齢的に有紀さんは40代後半。
妊娠&出産となるといろいろとリスクがあります。
そのため積極的に妊活とはいかないようです。
また、有紀さんと柏原崇さんが再婚しない理由は子供を作らないからかもしれません。
子供を作らないなら区役所的に結婚は必要ない感じです。
そのため事実婚でも問題なく生活しているようです。
また、内田有紀さんと元旦那・吉岡秀隆さんの子供がダウン症ではないかという噂がネットで騒がれていました。
しかし子供を産んでいないので全くのガセネタです。
ただ有紀さんには異父兄弟がいて、その弟さんとは20歳離れているとのこと。
20歳離れていると弟と何気なく外を歩いていると「内田有紀の子供じゃねぇ?」という人もいるようです。
そのことがネットでひとり歩きし、有紀さんに子供がいるという噂が広がったようです。
またダウン症については内田有紀さんの年齢的なことが影響し噂がたっているようです。
有紀さんは40代後半で出産となるとダウン症のリスクがあります。
そのためそのような噂がたったかもしれませんね。
内田有紀の元夫・吉岡秀隆との結婚
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/
吉岡秀隆のプロフィール
引用:https://curiouschannel.com/
本名: 吉岡 秀隆(よしおか ひでたか)
誕生日: 1970年8月12日(51歳)
身長:172cm
血液型:A型
出身地:埼玉県蕨市
最終学歴:亜細亜大学(中退)
事務所:Office Bow!
主な作品:ドラマ「北の国から」、ドラマ「Dr.コトー診療所」他
吉岡秀隆さんは5歳の時に劇団若草に所属するとすぐに、大江戸捜査網即という時代劇でデビューした逸材でした。
演技派として知られており、ドラマだけではなく映画でも山田洋次監督作品や黒澤明作品に多く起用され、数々のヒット作に出演しています。
一番の有名ドラマは「北の国から」で2002年に内田有紀さんと共演し交際し、2002年に結婚してます。
吉岡秀隆との馴れ初めは北の国から
内田有紀さんと吉岡秀隆さんの馴れ初めは、2002年にフジテレビで放送されたドラマ「北の国から2002 遺言」です。
二人はこのドラマで共演がきっかけで出会い交際がスタート。
吉岡秀隆さんは主人公の息子「黒板純」役。
内田有紀さんは吉岡秀隆さんの彼女役を演じたのです。
そのドラマ内の設定がそのまま現実になり交際し結婚したのです。
撮影期間中、有紀さんと秀隆さんは同じ宿場に泊まったそうです。
生活を共にすることでお互い惹かれあったようです。
当時の有紀さんは27歳。秀隆さんは32歳という大人同士。
ドラマなどで恋人役を演じ恋に落ちるという話はよくききます。
その例に習って、有紀さんと秀隆さんも撮影を通して仲を深めていったようです。
この有紀さんと秀隆さんの熱愛は写真週刊誌に報道されてました。
有紀さんの所属事務所も知っていたようです。
ただ当時、有紀さんと所属事務所とでトラブル系があったようです。
そういったこともあり、ドラマが放送されたその後に有紀さんは秀隆さんと結婚。
芸能界を引退した感じになったのです。
結婚は倉本聰演出・雪の中のウエディングドレス
内田有紀さんは結婚に際し、吉岡秀隆さんこんなことをお願いしていたそうです。
「雪の中でウエディングドレスを着たい」
秀隆さんはその願いを叶えるためある人物に相談をしたそうです。
その人物は「倉本聰」さん。
倉本聰さんは「北の国からシリーズ」などの脚本家。
その倉本聰さんプロデュースで、北の国からの舞台である「北海道富良野」でドラマのような結婚式を挙げたのです。
当日は小雪が舞い、有紀さんの希望であった「雪の中のウエディングドレス」が実現したのです。
その夢のような結婚式に有紀は大変喜び。
とてもロマンティックな結婚式を挙げた有紀さんと秀隆さんでした。
ただその3年後の2005年12月に離婚します。
内田有紀の元夫・吉岡秀隆との離婚理由はDV!?
倉本聰さん演出のロマンチックな結婚式を挙げた内田有紀さんと吉岡秀隆さん。
それなのに結婚から3年後の2005年12月に離婚したのです。
その理由は秀隆さんの「束縛」にあったのです。
現在では束縛はDV系とも言われています。
内田有紀さんは芸能界の仕事を辞めてますので、専業主婦的な生活になっていました。
ただ旦那の秀隆さんは俳優ですから、ドラマなどの撮影で家を空けることが多い。
そうなると有紀さんは専業主婦だけでは暇になります。
なので友達と会ってお茶をしたり、ショッピングなどにお出かけしたいところ。
ただ、吉岡秀隆さんはそれを許さなかったと言います。
これは現在ではDVと言われる夫の行動。
内田有紀さんにやらせることといったら買い物に出かけ自宅に戻り家事をするだけ。
そんな状態の有紀さんは孤独感を抱きはじめたといいます。
秀隆さんが毎日のように帰って来くれば孤独感も少なかったでしょう。
でも俳優の仕事で自宅に帰ってこない日が多かったのです。
誰も帰ってこない家で一人家事に専念する。
ある意味修行です。
この修業を強いたのはまぎれもなく旦那さんの秀隆さんでした。
秀隆さんこの考えは昭和のような一昔の価値観。
この価値観を無理に押し付けたことで、有紀さんに不満がたまり堪忍袋の緒が切れたのです。
そして別れを決意し、3年後の2005年12月に離婚したのです。
でも有紀さんは3年間もよく秀隆さんの束縛に耐えましたね。
芸能界を引退し秀隆さんと結婚した有紀さん。
なるべく離婚はしたくなかったでしょう。
そのことが3年間という耐えた長い年数に現れている感じがします。
脚本家・倉本聰も騙された
雪の中でウェディングドレス着たいという有紀さんの夢を叶えた脚本家・倉本聰さん。
仲人のような存在でしたが、有紀さんと吉岡秀隆さんの夫婦生活は知らなかったようです。
倉本聰さんは二人が離婚する少し前に一緒に食事をしたそうです。
その時の様子を語っています。
「離婚するような気配はなかった」
有紀さんは役者です。その気配を演技で隠していたのでしょうか。
脚本家の倉本聰さんは、一緒に食事をした時の夫婦の「いい感じ芝居」に騙されてしまったようです。
家出をした嫌われる有紀
倉本聰さんが騙された一つに要因として内田有紀さんの置き手紙が関係しています。
有紀さんは離婚の1ヶ月前に、吉岡秀隆さんに置き手紙を残して家出をしたのです。
仕事が終わって家に帰った秀隆さんは、置き手紙にびっくり。
出ていく理由が思い当たらなかったからです。
拘束してる旦那の秀隆さんは、嫁・有紀さんの苦痛がわからない。
旦那さんがわからないのですから、離婚前に食事をした倉本聰さんが離婚する気配を感じないのも当然です。
でも、有紀さんの心の中では、食事をしていても常に「別れたい」の言葉が繰り返されていたでしょう。
それでもその素振りがなかったのですから一流の役者ですね。
そして離婚3ヶ月後のインタビューで有紀さんはこんなこと言ってます。
「男性でも女性でも、自分の考えを押しつける人、とにかく、心が自由にならないような関係はダメだなと思います」
「 それと“私はこういうものが好きなんだ”っていうことを、相手の顔色をうかがって素直に言えなくなるのは、人間としてよくないと思います」
有紀さんが結婚していた3年間、秀隆さんの価値観に押し付けられて自分を表現できなかった。
そして心が不自由に。
そして内田有紀さんはこんなことを言ったのです。
「嫌われたくないから笑顔を作って、気を使って生きていたんでしょうね」
「やらなきゃいけない”という気持ちに支えられてましたが、すっごい後ろ向きでしたよ」
嫌われないために気を使って生きる。相当疲れますね。
ベストセラーになった「嫌われる勇気」という書籍があります。
これには「嫌われない八方美人は誰にも好かれない」的なことが書かれてあります。
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嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ] 価格:1,650円 |
嫌われないために自分の意見を押し殺す。そして疲れて嫌になる。
吉岡秀隆さんと離婚したことで、内田有紀さんは本当の「嫌われる有紀」を手に入れたようです。いい意味で。