今回はCook DoのCMでぐっさんとのおもしろCMに出演したことで一躍認定された杉咲花さんについてお伝えします。
杉咲花さんの両親はミュージッシャンです。
その影響もあり杉咲花さんの演技や声優、歌唱について素晴らしいと世間では評判です。
その評判は両親からの遺伝ともいわれていますので、その両親はどんな感じの人たちなのか。
父親、母親の順に以下で詳しく見ていきたいと思います。
目次
杉咲花のプロフィール
芸名:杉咲花(すぎさき はな)
本名:非公開
旧芸名:梶浦花(かじうら はな)
出身地:TOKYOう
生年月日:1997年10月2日(25歳)
身長:153cm
血液型:B型
職業:女優・声優
デビュー:2006年
代表作:おちょやん など
事務所:研音
杉咲花さんは2006年、9歳から芸能活動を開始してます。
9歳なので子役からのスタートで、スターダストプロモーションの芸能4部に所属
芸名は「梶浦花」でした。
しかし2011年13歳の中学生1年生の春に、事務所を研音に移ります。
その理由は、研音には憧れの「志田未来」さんが所属しているからと言うもの。
志田未来の旦那の画像と結婚式はディズニー!?馴れ初めは同窓会でデキ婚し子供を妊娠!?
事務所を変更したと同時に芸名を「杉咲花」に変更し飛躍していくのです。
女優としての活躍だけではなく、多くのCMにも出演しています。
その代表的なCMとして「Cook Do」が挙げられます。
おもしろCMとして、山口智充(ぐっさん)と共演し大食いを披露。
まるでぐっさんが本当の父親のようないい感じのおもしろCMでした。
しかし杉咲花さんはお父さんと暮らしていませんし、母子家庭で育っています。
どうしてお父さんと暮らしてないのか。
杉咲花さんの父親について見ていきます。
杉咲花の父親はレベッカの木暮武彦で風来坊!?
杉咲花さんのお父さんは元レベッカの木暮武彦さん(シャケ)。
レベッカとは1980年代中盤から1990年初頭に活躍したバンドです。
有名な楽曲としては「フレンズ」「ラブ・イズキャッシュ」「ムーン」などたくさんのヒット曲があります。
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杉咲花さんのお父さんはレベッカで「シャケ」と呼ばれてました。
なんでシャケかは不明ですが「木暮”shake”武彦」が芸名のようです。
この「shake(シャケ)」は英語だと「シェイク」=「揺さぶる」的なロックのイメージがあります。
ライブなどで「ヘイ!シェイク!」とバンドメンバーに呼ばれるとダサいと思ったかもしれません。
で「シャケ」ならお魚の「鮭(サケ)」とも関連があって「シャケ」と呼ばれるようになったのかもしれません。
そのシャケこと木暮さんは、そのレベッカでギターを担当しリーダーも務めてました。
木暮武彦のプロフィール
名前:木暮武彦(こぐれ たけひこ)
生年月日:1960年3月8日(61歳)
出身地:東京都
学歴:武南高校卒業・国士舘大学中退
職業:ロックギタリスト・作曲家
元所属バンド:レベッカ・レッドウォーリアーズ
デビュー:1984年
木暮武彦さんの音楽の始まりは13歳のとき。
最初はエレキギターではなく、フォークギターを弾き始めます。
その後15歳のときに友達がエレキギターを弾いている姿に驚き「オレもエレキや!」とロックに心酔します。
当時のロックといえば「ビートルズ」が人気。
そのため木暮さんも「ビートルズ」「ディープ・パープル」などの完コピを始めます。
木暮さんのロックへの愛情は止まらず、1981年・21歳のときにアメリカのロスへ。
2ヶ月間、ロサンゼルスで現地のバンドに参加し、スキルを磨いたのです。
その3年後の1984年に日本で「レベッカ」を結成し、リーダーとなってプロデビューします。
レベッカは1980年代を中心に活躍してロックバンドです。
メンバーは高音ボイスで有名なNOKKOさんがボーカルで有名なグループです。
木暮さんはレベッカの初期のリーダーでギターを担当してました。
その後、現在音楽プロデューサーとして活躍してる土橋安騎旦那さんが加入してレベッカは有名になっていきます。
有名な曲として
- 「ラブ イズ Cash」3枚目シングル(1985年4月)
- 「フレンズ」4枚目のシングル(1985年10月)
- 「RASPBERRY DREAM」5枚目のシングル(1986年5月)
- 「LONELY BUTTERFLY」6枚目のシングル(1986年10月)
- 「MOON」9枚目のシングル(1988年2月)など
ちなみに9枚目の「MOON」には怖い話があります。
曲の中に「センパイ」という声が聞こえるという噂(2分13秒くらい)
この「センパイ」という声は「NOKKO」の亡くなった後輩の声とも。
信じるか信じないかはあなた次第です!
引用:https://www.tv-tokyo.co.jp/
この話とは別に小暮さんはレベッカ結成の約1年後、1985年1月にレベッカを脱退してます。
レベッカ脱退とレッドウィリアーズ加入
レベッカを脱退した理由は音楽的方向性の違いです。
なので超売れた「フレンズ」などの楽曲には参加してません。
「フレンズ」を作詞をしたのはNOKKOさん。
NOKKOさんと木暮武彦はレベッカ結成以前から恋愛系のいい関係でした。
その恋愛をNOKKOさんが描写し歌詞にして、フレンズは大ヒットしたのです。
木暮さんが脱退したあとのリーダーは土橋安騎旦那さんが務めてます。
もしかすると小暮さんは売れる曲よりも演奏したい曲を作りたかった。
芸術家的なこだわりが木暮さんにはあり、土橋さんと音楽的な方向性の違いで衝突。
他のメンバーも売れたいでしょうから、小暮さんは脱退したのかもしれません。
脱退後の木暮さんは、新しいバンド「レッドウォリアーズ」に加入します。
レッドウォリアーズはダイヤモンド・ユカイさんがいたバンドです。
1988年に木暮さんが作曲した「君を守りたい」が日本レコード大賞特別賞を受賞します。
その翌年の1989年にレッドウォリアーズは解散します。
レベッカNOKKOとの結婚と離婚
その1年後の1990年にレベッカのNOKKOさんと結婚します。
しかし、NOKKOさんの歌詞にまで影響を及ぼしたはずの二人は、3年後の1996年に離婚します。
恋愛中は燃えるものの結婚すると生活という現実が待っている。
そのため結婚という拘束される契約は、二人には向かなかったのかもしれません。
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母、チエ・カジウラとの結婚と離婚
そしてようやく、その3年後の1996年に杉咲花さんの母・カジウラチエさんと結婚します。
馴れ初めは不明です。
ただ、木暮武彦さんはロサンゼルスでギターの技術を磨いたあとにNOKKOさんとレベッカを結成してます。
芸術性のあるギターリストを目指していたようです。
一方、お母さんのカジウラチエさんはデビュー後、アニソンを歌ってます。
ただチエさんはアニソンを歌手になりたかったわけではなくアーティスト系のミュージシャンになりたかったようです。
そのため、アニソンで売れましたがすぐにロック系のミュージシャンとして活躍します。
杉咲花さんの両親はお金儲けで音楽をやるのではなく芸術性のあるミュージックをやりたい同士。
そういったこともあり、二人は意気投合したようです。
そして、結婚から1年後の1997年に杉咲花さんが産まれます。
しかし、再び木暮さんはゆっくり家庭生活は過ごせない。
結婚から4年後・杉咲花さんが生まれて3年後に、カジウラチエさんと離婚します。
離婚した当時、杉咲花さんは3歳くらいでしたので、お父さんとの想い出はほとんどないでしょう。
一般女性と河口湖で新しい結婚
カジウラチエさんと離婚後、木暮武彦さんは2004年に一般女性と再婚します。
息子さんも産まれて、現在は山梨県富士河口湖町に住んでいるとのことです。
木暮さんに息子さんがいるということは、杉咲花さんには弟がいることになります。
でも、今は杉咲さんの母・チエさんと木暮武彦さんとの交流はありません。
なので、異母兄弟の弟と杉咲さんとも交流はないそうです。
このことをA-Studioに出演した時、杉咲花さんは言ってます。
「うちは母子家庭でずっと母と二人で暮らしてきた」
「親は母親だけ」
この言い切り感は、父・木暮武彦さんを拒絶してる感じすら受けます。
物心ついて頃に周りにはほとんどの同級生にお父さんがいる。
でも、杉咲さん自身にはお父さんがいない。
亡くなっていないなら納得できますが、杉咲さんを見捨てた感じでいない感じ。
母子家庭でさらに一人っ子で育った杉咲さんは相当寂しかったでしょう。
なので「親は母親だけ」と頑(かたく)なに言い張るのもよくわかりますね。
3年周期の風来坊、父・木暮武彦
父・木暮武彦さんとは絶縁してる感が漂う杉咲花さんの言葉。
でも、その杉咲さんの言葉の裏には、父・木暮さんの行動が影響している可能性もありそうです。
それは3年周期で変わってしまうという木暮さんの行動遍歴です。
- 1981年にアメリカのロサンゼルスでスキル磨き
↓ 3年後 - 1984年にレベッカ結成
↓ 1年後 - 1985年にレベッカ脱退
↓ 3年後 - 1988年「君を守りたい」で日本レコード大賞特別賞
↓ 1年後 - 1989年レッドウォリアーズ解散
↓ 1年後 - 1990年にNOKKOさんと結婚
↓ 3年後 - 1993年にNOKKOさんと離婚
↓ 3年後 - 1996年にカジウラチエさんと結婚
↓ 1年後 - 1997年に杉咲花さんが誕生
↓ 3年後 - 2000年にカジウラチエさんと離婚
↓ 4年後 - 2004年に一般女性と結婚
父・木暮さんはこのような経歴を持ってます。
1年か3年という周期で木暮さんは動き出したり変えたりするのです。
風来坊ですね。
もしこの流れを杉咲さんが知ったら「何やってんねん!もっと落ち着きや!」と感情が揺さぶられそう。
母子家庭で一人っ子だったことと、父親のこのヒストリー。
これを知ったら杉咲さんでなくても「親は母親だけです!」と断言したくなるかもしれません。
杉咲花の母親は大学講師、チエ・カジウラ
杉咲花さんのお母さんの名前は「チエ・カジウラ」さんと言います。
チエ・カジウラのプロフィール
名前:チエ・カジウラ
生年月日:不明
出身地:東京都
職業:ボーカリスト・大学講師
デビュー:1995年
カジウラ・チエさんは歌手として1994年デビューします。
それと同時期の1995年に、チエさんはアニメ「マクロス7」の仕事が入り作詞を担当します。
なのでWikipediaのデビューが1995年になってます。
その「マクロス7」でのチエさん名前は「M-MEG」でした。
松任谷由実さんが楽曲提供するときに「呉田軽穂」の作家名を使うのと同じ感じです。
「マクロス7」の中に登場するロックバンド「Fire Bomber」のボーカルとして活躍します。
その後「・・・だけどベイビー!!」でシングルCDを発売。
90年代の匂いがする曲調です。
初登場でオリコン15位になるなどいい感じのヒット曲になりました。
さらに3枚のシングルと、2枚のアルバムなどを発売します。
しかし、チエさんは前にもふれましたが、そもそもアニソン歌手とかをやりたかったわけではありませんでした。
アーティスト性のあるロック系のボーカリストとして活動したかったのです。
なので、セールスもよくいい感じの「Fire Bomber」でしたが、チエさんは活動を休止しソロ活動へ。
ただチエさんは言います。
「『マクロス7』が嫌いというわけではない」
それが証拠にチエさんは「マクロス7」が終わっても「マクロスシリーズ」に関するイベントに出演してます。
カジワラ・チエさんはミュージシャンの他、キャンドルアーティストとしても活動。
現在もシンガーとして活躍する一方で「洗足学園音楽大学」でロック&ポップの「ヴォーカル講師」としても活躍してます。
杉咲花の誕生と母・チエの年齢
杉咲花さんが誕生したのは1997年10月2日です。
このことから、母・チエさんがマクロス系の歌手をやめたくらいに誕生したようです。
カジワラ・チエの年齢は不明ですが、デビューが1994年で仮に大学卒業後すぐにデビューした場合22歳。
「Fire Bomber」の活動が2.3年で、その後2.3年後くらいに結婚した場合年齢は28歳前後。
杉咲花さんは現在23歳なので「28+23=51歳」
51歳はあくまで憶測ですが、母チエさんの年齢は40代後半から50代くらいと見積もられます。
母子家庭で娘への愛情は半端ない!?
杉咲花さんは異母兄弟はいますが一人っ子で育っています。
一人っ子で父親がいないという寂しい境遇でも、母チエさんは杉咲さんをなるべく寂しくさせないようにこんなことを言いました。
「お母さんは花のお父さんでもあり、お兄ちゃんでも、お姉ちゃんでもある。なんにでもなるから」
母・チエさんの、杉咲さんに対する深い愛情が感じる言葉。
そのチエさんの優しさを感じ取った杉咲さんは、今でもチエさんのインスタに登場するくらいの親密な関係です。
ちなみに、母チエさんが杉咲花さんのことを「花」と言ってるので、杉咲花さんの本名は「梶原花」さんと思われます。
仕事を家に持ち込むな!
杉咲花さんがブレイクしたきっかけの映画作品「湯を沸かすほどの熱い愛」。
この撮影時はとにかく大忙しで大変だったそうです。
暗い感じの役柄だったこともあり、杉咲さん自身の気持ちも暗くなったそうです。
自宅に帰ってもその暗い役が抜けきれず、精神状態も不安定になり、毎日のようにイライラしていたと言います。
そのイライラを母・チエさんにぶつける日々があったと言います。
この杉咲さんの態度に母・チエさんはいいます。
「本当にキツイ」
「勘弁して」
この直接的な母・チエさんのお叱り発言で杉咲さんは目を覚まします。
目を覚ました杉咲さんは、仕事の役を引きずってチエさんにイライラをぶつけていたことを反省したのです。
チエさんが「やめて!」と直接的に杉咲さんに言える関係性はいい感じ。
「どうしたの花ちゃん、大丈旦那?」
こんな感じで当たらず触らず杉咲さんに対応していたら花さんも役から目を覚まさない。
そういう面では、家に帰ってきたら仕事のことは忘れろ的な、母・チエさんの怒りと愛情が混ざったお叱りだったようです。
ちなみに、同じ若手女優さんの芳根京子さんも役を演じたときに憑依体験的なことがあるそうです。
「芳根京子を追い越す瞬間があるんです、役が」
「自分で自分がわからなくなる」
「ちょっと怖くなります。あっ、ダメダメダメ、持ってかれちゃう感覚」
「芳根京子がどんどん薄れていく感じ」
「落ちる、暗い役とかの時は、体をずっと役に貸してる感覚になってるのが、ちょっとこれは本当に危ないかもしれないって思ったことがあって」
芳根京子さんが演技はとても上手いです。
それは憑依体質の女優さんだからなのでしょう。
このことから杉咲花さんも自宅に帰っても役が抜けない憑依型女優さんと思われます。
なので、演技に対する評価が高いのでしょう。
才能を開花させた母親
杉咲花さんの才能を最初に見つけたのは母・チエさん。
杉咲さんが幼稚園のときの発表会での「ジャックと豆の木」の演技をみてこういったのです。
「この子は演技をさせるべきだ!」
チエさんは、幼い頃からたくさんの習い事を花さんにはさせたようです。
花さんは書道についてはなかなかの腕前のようです。
でも演技はそれよりも抜けていいのでしょう。
生まれ持った才能的なものは少なからずあるようです。
そんな杉咲花さんと母・チエさんは仲良し。
母・チエさんのインスタに花さんが登場することも多いようです。
両親から受け継いだ杉咲花の才能
引用:https://www.cinemacafe.net/
親は母親だけでも、杉咲花さんには父・木暮武彦さんのDNAが宿っています。
両親はミュージシャンなので感性が豊かです。
その影響は、杉咲花さんにも受け継がれているのです。
それが証拠に2017年にアニメ映画「メアリと魔女の花」のメアリの声優を担当したときのこと。
米林宏昌監督に絶賛されたのです。
監督はいいます。
「彼女は天才」
「『この役って、そういう子だったんだ』と監督のボクが教えられることが多い」
「特に好きなのは杉咲さんの『いひひ』っていう笑い方」
「これが嫌味がなくてすごくいいんです」
「メアリは嘘をついたり、調子に乗ったりと、演じる人によって嫌われるキャラクターなんだ」「
「けれど、彼女が演じると『しょうがないな』って思えてしまう」
監督が教えられては若干困るところもありますが、監督が感心するその才能は半端ないようです。
天才的だからといって、杉咲花さんは努力的なことを全くしないわけではありません。
杉咲さんは言います。
「みんなでものづくりをして良い作品を作り上げていくことが楽しい」
「自分のことよりも作品のことを考えて、自分の主張を監督や制作サイドに伝える」
楽しいことをやれば努力は特別惜しまない。
さらに、自分が思ったことを主張するその姿勢が天才といわれる由縁なのでしょう。
ちなみにこちらの画像は母・チエさん。
目元が杉咲花さん激似で遺伝ってすごい。
林檎も絶賛する才能
杉咲花さんは女優や声優だけではなく歌手にも挑戦。
テレビのコマーシャルで花さんの歌声を聞いた視聴者はこう言います。
「さすが両親がミュージシャンなだけある!」
「しっかり親のいいところを受け継いでるね」
この杉咲花さんのささやくような歌声を聞いたミュージッシャンがこんなこといいます。
「曲を書く人なら杉咲さんの声はみんな大好きで、声を聞いた瞬間に心を射抜かれてしまう」
この発言をしたのは歌手の椎名林檎さん。
杉咲花さんの個性的な歌声に惚れたようです。
この椎名林檎さんのオファー的な感想に花さんも言います。
「恐れ多いです」
恐れ多いといった花さんですが、両親はミュージッシャンで幼い頃からその感性を培ってきた逸材。
そのうち全国的に知れ渡る女優兼歌手として活躍しそうです。