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中井貴一の父・佐田啓二の悲惨な死因は?エピソードで見る名俳優との家族関係!?

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今回は、俳優業だけでなくNHKの人気番組『サラメシ』でナレーションを担当するなど、大活躍中の中井貴一さんの父親・佐田啓二さんについてお伝えします。

  • 中井貴一さんの父・佐田啓二さんの死因
  • 父・佐田啓二さんの経歴とエピソード
  • 父・佐田啓二さんと家族エピソード など

以下で詳しく迫っていきたいと思います。




中井貴一のプロフィール

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画像出典元:nobicom

本名:中井貴一(なかい きいち)
生年月日:1961年9月18日(61
出生地:東京都世田谷区
身長181cm
血液型:A型
出身大学成蹊大学経済学部卒業(偏差値57
職業:俳優
代表CM:ミキプルーン、DCカード
親族:父・佐田啓二、母・中井益子、姉・中井貴恵、嫁・吉谷麻友子

引用:https://ja.wikipedia.org

中井貴一さんは、東京都世田谷区立八幡小学校を卒業後、成蹊中学校に進学。

中学ではテニス部に所属していました。

中学3年生のとき、テニス部の後輩の女性と交際したようです。

個人的には真面目で「女に興味ない!」みたいな硬派なイメージ。

でも、逆に女性に対して早熟で意外でした。

その後、成蹊高校に進学、成蹊高校の偏差値は68です。すごく頭が良かったのでしょうね。

成蹊高校でもテニス部に所属し、インターハイ出場経験もあります。

しかもアイドルになれそうなくらいかわいい子と交際していたようです。

役者の才能だけでなくスポーツの才能もあり、女性からの人気もあったようです。

うらやましいです。

そんな中井貴一さんは2歳まで父親である佐田啓二さん、母親、そして4歳上のお姉ちゃんの4人家族でした。

ですが、昭和39年8月22日、父・佐田啓二さんは亡くなってしまいました。




中井貴一の父・佐田啓二の死因と事故全容

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画像出典元:芸能人の裏の裏(改二)

カッコいい中井貴一さんの父・佐田啓二さんは37歳という若さで亡くなっています。

死因は、交通事故による脳挫傷でした。

脳挫傷
画像出典元:photoAC

「バーン」と頭に強い打撃を受けることで、脳に傷(挫傷)ができた状態を脳挫傷といいます。

その脳挫傷で父・佐田啓二さんは亡くなりました。

父・佐田啓二の交通事故死の全容

父・佐田啓二さんは交通事故に遭い脳挫傷で死亡。

中井貴一さんは当時2歳でした。

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画像出典元:ほわほわブログ-HOT WORD HOT WORD BLOG

当時、父・佐田啓二さんは映画のスター俳優として大活躍。忙しい日々を過ごしていたのです。

それでも家族と一緒に過ごす時間を大切にしていた父・佐田啓二さん。

1964年8月13日、妻の中井益子さん(旧姓、杉戸益子)と子供2人(息子・中井貴一さん、娘・中井貴恵さん)を連れて別荘に行き、短い夏休みを過ごしていました。

長野県の信州蓼科高原

長野県の信州蓼科高原 画像出典元:photoAC

場所は長野県の信州蓼科高原。涼しそうな場所ですね。

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画像出典元:ほわほわブログ-HOT WORD HOT WORD BLOG

映画のスター俳優だった佐田啓二さんですから、そんなに長く夏休みがとれるわけがありません。

実際、NHKドラマ『虹の設計』の撮影が休み後に決まっていたのです。

短い夏休みを終えた8月17日早朝。

佐田啓二さんは、妻と子供2人は別荘に残し、運転手と2人の関係者の計4人で車で別荘をあとにしました。

ただ、これが最後の別れになるとは誰も想像していなかったのです。

運転手さんは、大スター佐田啓二を早く撮影所に届けるために急いでいました。

そのため、佐田啓二さんを乗せた車は猛スピードで走っていたのです。

焦っていた運転手さんが前を走っていた車を追い越そうとアクセルをさらに踏んで加速したその瞬間。

誤って橋の欄干にぶつかってしまい、さらに他の車と衝突事故を起こしたのです。

佐田啓二さんが乗っていた車は大破し無残な姿に・・・。

事故を起こした場所は韮崎市韮崎町の塩川橋付近、時刻は午前6時30分でした。

sadakeiji
画像出典元:えんためにゅーす

瀕死の重傷を負った佐田啓二さんを救急車で山梨県にある韮崎市立病院に救急搬送。

しかし、頭の骨を折るほどの大けがを負っており、佐田啓二さんは手遅れだったようです。

治療の甲斐なく午前11時30分頃に死亡。事故が起きてからわずか5時間の出来事です。

佐田啓二さんの直接の死因は交通事故による脳挫傷です。

車
画像出典元:家訓 「人のことはうらやむな」

人の命が奪われるほどの重大事故。

事故当時、佐田啓二さん以外に運転手と2人の関係者が同じ車に乗っていました。

多数の死者が出たと思った方もいるでしょう。ですが死者は佐田啓二さんしかいませんでした。

もちろん、運転手と2人の関係者も無傷ではなかったようです。

人の命は平等です。

「佐田啓二さんじゃなくて他の人が亡くなっていたらよかったのに・・・」のような考えはよくありません。

親族としてはどこに怒りや悲しみの感情をぶつけたらいいのかわかりませんね。

しかも父・佐田啓二さんが車の衝突事故で亡くなった時、息子の中井貴一さんは2歳。

事故が起きたのは8月、中井貴一さんの誕生日は9月。

あと1ヶ月で3歳になるところでした。

無念だったでしょう。

私にも息子がいます。

3歳くらいって、言葉を覚えてきて「いやだ、これがいい、これほしい」みたいに我がままぶりを発揮します。

ちょっとずつ人間っぽさが出てきて憎たらしく感じることもあればものすごく愛くるしくて、たとえ「パパ、離してよ!」って言われても抱きしめても抱きしめ足りないくらい可愛い時期でもあるんです。

こんな気持ちになれるのは一生に一度くらいの大切な時期です。

そんな大事な時期に佐田啓二さんは車の事故で亡くなってしまいました。

無念だったでしょう。

かくれんぼ
画像出典元:photoAC

中井貴一さんには父・佐田啓二さんとかくれんぼしたり、一緒に公園に遊びに行ったりといった記憶はないでしょうね。

中井貴一さんは映画や写真でしか父・佐田啓二さんが生きていた証を感じれないのでしょう。

おそらくお父さんと一緒に映画で共演したかったと思っているのではないでしょうか。

俳優の佐藤浩市さんは父・三國連太郎さんとお芝居で共演できたことを羨む姿。

その姿を見ると見ているこちらの目頭が熱くなってきますね。

中井貴一の父・佐田啓二の事故の真実


引用:https://thetv.jp/news/

ところで、この事故の原因は運転手による運転ミスと言われています。

「運転手さんが焦って運転していなければ・・・」と多くの人が思います。

いかなる場合でも猛スピードで運転したらいけないなと。

ですが、後になって運転手のスピードの出しすぎでなく居眠り運転による事故だとわかりました。

この事実を中井貴一さんが大人になってから母の中井益子さんから聞いたのです。

こんなことを聞いたら私が中井貴一さんの立場だったら運転手を一生恨むことでしょう。

「ふざけんな!居眠り運転してんじゃない!お父さんを返せ!」と…。

ですが、母・中井益子さんは人格者だったのです。

お母さんはこの事故は「運命だったの。決して運転手を責めちゃだめ」と中井貴一さんをさとしたのです。

でも、相手を許さないと相手のことを恨み続けるだけで、ずっと自分の心に平和が訪れません。

許す勇気は大事ですね。

母・中井益子さんの言っていることは奥が深いですし、本当に人格者と思います。

ただ「シートベルトを着用していたら、助かった事故なのでは?」と思いたくなります。

ですが、1964年というのはまだシートベルトの設置さえ義務付けられていませんでした。

運転席、助手席でシートベルト着用を法律で規定したのが1971年です。

ただ、努力義務だったので、シートベルトを着用してなくても罰則規定はありませんでした。

なので、1964年の事故が起きた当日、車の後部座席にいた佐田啓二さんはシートベルトを着けてなくても仕方がありません。

しかも事故原因が運転手の居眠り運転ということですから、佐田啓二さんにとって避けることのできない事故だったといえるでしょう。




中井貴一の父・佐田啓二の経歴

君の名は
画像出典元:お布団の中で恋わずらい。

まずは佐田啓二さんの簡単なプロフィールです。

父・佐田啓二のプロフィール

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画像出典元:wikipedia

本名:中井貫一(なかい かんいち)
芸名:佐田啓二(さだ けいじ)
生年月日:1926年12月9日(享年37歳)
身長:171cm
代表映画:『喜びも悲しみも幾歳月』『秋刀魚の味』『君の名は』など

引用:https://ja.wikipedia.org/

佐田啓二さんはかなり頭が良かったようで、早稲田大学政治経済学部出身です。

早稲田大学在学中は下宿をしていました。

下宿先は当時人気があった俳優・佐野周二さんの家でした。

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佐野周二 画像出典元:Cape Fear in JAPAN

佐田啓二さんは佐野周二さんからすごく気に入られていたようです。

1946年、佐野周二さんが所属していた松竹大船撮影所に入社します。

しかも、本名は中井貫一ですが、佐野周二の『佐』と『二』の2文字をもらって『佐』田啓『二』という芸名になったそうです。

松竹に入社した翌年の1947年には、木下惠介監督の映画『不死鳥』で主役・田中絹代さんの相手役として出演。

瞬く間にスターの地位を手にしました。

その後、『松竹戦後の三羽烏』や『君の名は』など当時のヒット作に出演しています。

代表映画は…

  • 『この広い空のどこかに』
  • 『秋刀魚の味』
  • 『君の名は』など

中でも、1953年に公開された『君の名は』では、演技が高く評価されトップスターの仲間入り。

ほぼ同時期にデビューした鶴田浩二さん、高橋貞二さんとともに「松竹戦後の三羽鳥」と言われていたそうです。

それ以降も、1964年8月17日に亡くなるまで多くの映画やドラマに出演されています。中井貴一と父・佐田啓二とのエピソード

中井貴一
画像出典元:こいもうさぎのブログ

佐田啓二さんは、妻・益子さんと娘・中井貴恵さんと息子・中井貴一さんの4人家族でした。

しかし、当時国民的スターだった佐田啓二さんは俳優業が忙しく、家族で食事をした記憶がほとんどありませんでした。中井貴一さんは父親の記憶はほとんどないと語っています。

中井貴一さんは、小学校の頃から母の益子さんに連れられて、佐田啓二さんの映画を鑑賞するために映画館によく行ったそうです。

映画館に通い、スクリーンの中の父親の姿を目に焼き付けていた小学生の中井貴一さん。

俳優になって父の存在を感じたいという気持ちを持ち続けて、大学在学中に俳優にスカウトされ映画に出演することになります。

2018年にトーク番組に出演した中井貴一さんは言っています。

「今、やってきて、自分なんかが俳優やっていられるのは、オヤジとオフクロのおかげなんだろうと思います。自分の実力なんて1くらいで、オヤジが遺してくれたものが、ほとんどを占めているんじゃないかと思います」

引用:スポーツ報知

父親と同じ俳優の道に進んだことで、父親の存在をより深く知ることができたのかもしれませんね。




中井貴一の家族構成(父・母・姉・嫁)

佐田啓二一家
画像出典元:頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

中井貴一さんが3歳になる直前まで4人家族だった佐田家。

  • 父・佐田啓二さん
  • 母・中井益子さん
  • 姉・中井貴恵さん
  • 息子・中井貴一さん

でも、父・佐田啓二さんの死亡により3人家族に。

家族3人と父・佐田啓二さんとのエピソードを見ていきます。

母・中井益子と父・佐田啓二のエピソード

母・中井益子と父・佐田啓二
画像出典元:ほわほわブログ-HOT WORD HOT WORD BLOG

母親の中井益子さんと父親の佐田啓二さんは大船撮影所の近くにある食堂で出会いました。

中井益子さんがそこの食堂で働いていて看板娘でした。ものすごい美人だったらしいです。

小津安二郎監督や周りのスタッフも「美人だなぁ」って見ていたようです。

佐田啓二さんも中井益子さんのことが気になっていて、中井益子さんが働いていた食堂によく通っていました。

そして佐田啓二さんも中井益子さんも同じ京都出身で京都弁を話すということもあって意気投合。

後に結婚しました。

結婚式では小津安二郎監督が仲人を引き受けてくれたそうです。

しかも中井貴一さんの『貴一』は小津安二郎監督がつけてくれたそうですよ。

姉・中井貴恵の父・佐田啓二のエピソード

妻・中井益子さんが妊娠したとき、佐田啓二さんは「一人目は男の子がいいな」と思っていたそうです。

でも一人目は女の子でした。中井貴一さんの姉・中井貴恵さんです。

とはいえ、自分の子供はかわいい。

実際、父・佐田啓二さんは中井貴恵さんを溺愛していたそうです。

佐田啓二さんは文字を書くのが大好きで、娘の中井貴恵さんを自分の書斎に呼び、文字の読み書きを教えていたそうです。

中井貴一の嫁・吉谷麻友子と父・佐田啓二のエピソード

吉谷麻友子画像
画像出典元:かわいい子供たちの画像

中井貴一さんは、39歳の誕生日に一般女性と結婚しました。

ご自身の誕生日と結婚記念日が同じなら記念日を忘れてしまう心配はなさそうですね。

中井貴一さんのお相手は、吉谷麻友子さんという方で女優さんなどではなく一般の会社員。

中井貴一さんが吉谷麻友子さんと結婚した1番の理由39歳まで生きていたからです。

どうして39歳まで生きていたから結婚したのか。

その理由は、中井貴一さんは2歳の時に父の佐田啓二さんを事故で亡くしています。

そのため、父の記憶はほとんどないそうですが死へのトラウマをずっと抱えていました。

自分も「父と同じ年齢になったら死んでしまうのだろう」と思っていたのです。

佐田啓二さんは、37歳という若さでこの世を去っています。

亡くなった父親の年齢を自然と意識してしまうのはよくわかりますよね。

父親が亡くなってからの母親の苦労を見ていた中井貴一さんは結婚することが怖かったようです。

もし、結婚して自分も父と同じように30代で亡くなったら家族が不幸になってしまうという恐怖。

この不安をずっと抱えて生きてきたんですね。

そのような恐怖から中井貴一さんは結婚を諦めようと思っていたのです。

死への不安や恐怖を抱えていた中井貴一さんが当時交際していた女性が吉谷麻友子です。

彼女は、そんな中井貴一さんに寄り添い励まし続けたのです。

吉谷麻友子さんと交際中に中井貴一さんは38歳の誕生日を迎えます。

38歳の誕生日は、吉谷麻友子さんがパーティーを企画し、多くの友人を集めて盛大に祝いました。

そのパーティーで吉谷麻友子さんが中井貴一さんに言葉を投げかけます。

この言葉には「無事に38歳を迎えられてよかったね」というやさしい意味が込められていたのです。

38歳を迎えられなった父より長く生きれいられたことへの中井貴一さんへの気遣いと励ましの言葉。

この言葉をもらった中井貴一さんは、とても嬉しく安心したでしょうね。

そして、2人は2000年9月18日に結婚しました。

そのとき中井貴一さんは39歳、吉谷麻友子さんは34歳でした。

お相手の吉谷麻友子さんは、一般の女性でスポーツメーカー「ナイキ」にお勤めのOL。

結婚後も働いているそうです。

自分で仕事を持ち、社会に出て働きながら自分を励ましてくれる吉谷麻友子さん。

中井貴一さよりも5歳年下ですが、頼りになる存在で絶対に失いたくない人なのでしょうね。

2人にお子さんはいないようですが、仲の良いオシドリ夫婦として知られています。