今回はシンガーソングライターとしてデビュー。
俳優としても大活躍している泉谷しげるさんについてお伝えします。
泉谷しげるさんをテレビで見ると、いつも足を引きずっています。
その理由と嫌いな紅白に出演した理由についても以下で詳しく見ていきましょう!
目次
泉谷しげるのプロフィール
芸名:泉谷しげる(いずみや しげる)
本名:泉谷茂(いずみや しげる)
出身地:東京都目黒区
出生地:青森県青森市長島
生年月日:1948年5月11日(74歳)
身長:170cm
血液型:O型
学歴:東京都立目黒高等学校中退
職業:シンガーソングライター、俳優、タレント
担当楽器:ボーカル、ギター
デビュー:1971年
所属事務所:ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
泉谷しげるさんは東京23区のど真ん中の目黒区で育成。
そのため江戸っ子感があります。
テレビでの乱暴な姿や主義主張が目に付きます。
泉谷しげるさんの年代から大学での60年安保闘争などに参加したと思いました。
でも、泉谷しげるさんは高校中退。
どうやら安保闘争には参加していないようです。
乱暴風なのは素質またはキャラクターですね。
泉谷しげるさんは言動から基本真面目。
わざと悪いような言動を示して注目を集めています。
泉谷しげるの足の病気と不自由な理由は?
泉谷しげるさんは基本・乱暴者です。
でも、その乱暴な態度をとっている時に足の不自由さを感じます。
足を引きずるように歩くときもぎこちない。
世間では義足では?と思われています。
でも、義足ではないのです。
義足ではないのに足を引きずっているので気になります。
原因を見ていきます。
泉谷しげるが足を引きずる理由
泉谷しげるさんが足を引きずる理由は幼い頃の病気です。
病名はポリオウイルス感染症。
その後遺症で現在でも泉谷しげるさんは足を引きずっているのです。
その後遺症は70歳を超えた今でも残っています。
大変ですね。
泉谷しげるのポリオウイルスとは?
泉谷しげるさんが感染したポリオウイルス。
5歳以下の子供に感染しやすい病気です。
感染経路は咽頭や小腸の粘膜。
血管にウイルスが流れ込み、頭の中枢神経にたどり着きます。
そうすると厄介なことになります。
ウイルスが脊髄運動神経を攻撃。
発熱や頭痛、倦怠感や下肢痛を引き起こすと言います。
しかしこの症状が出るのは1割の子供。9割の子供は無症状のまま。
でも、感染者の0.5%の子供に足に麻痺が残ることがあります。
泉谷しげるさんはその0.5%になってしまい、後遺症が残ったのです。
1961年にポリオウイルスワクチンの予防接種により、後遺症はほとんどないようです。
また、1980年にはポリオウイルスは根絶されたそうです。
泉谷しげるさん以外の有名人でポリオウイルスに感染した人として…
- 小柴昌俊さん(ノーベル物理学賞受賞者)
- 坂東玉三郎さん(女形歌舞伎役者)
泉谷しげるさんは時代的な影響で、軽度の後遺症が残ったのです。
泉谷しげるさんにとっては大変なことですね。
でも、幼少期から足を引きずって生活は、それが当たり前になります。クセみないな感じ。
大人になって足に麻痺が残ると泉谷しげるさん以上に大変です。
泉谷しげるさんにとって今はそれほど苦痛ではないようです。
ですので必要以上に泉谷しげるさんの後遺症を気遣うと逆に大変かも。
乱暴者の泉谷しげるさんです。
いたたまれない暴言を吐かれるかも知れませんね。
泉谷しげるは足の病気をネタにする
泉谷しげるさんの足の病気。
相当長い付き合いになっています。
そのおかげもあって足の病気をネタにして笑いを取ろうとしています。周りに気を使っています。
ある日のこと。
日本のロック界で輝いている矢沢永吉さんのことでこんなことを言いました。
「奴がBIGなら俺はB◯K◯Oだ!文句あるか!」
生放送中のこの差別発言。足が不自由な当事者が言っているので問題はないようです。
でも、放送禁止用語なのでプロデューサーから注意されたそうです。
お笑い界の巨匠・ビートたけしさんもテレビで同じようなことを言います。
お父さんの職業を「ペ◯キ屋」と言います。
でも、これも差別用語ですが当事者なので問題視されないようです。
しかし、この差別用語を使うと、気分を害する人が大勢いるでしょう。
そういう観点から泉谷しげるさんには反省してほしいです。
泉谷しげるは足が不自由で子供の頃から反発!
泉谷しげるさんは、子供の頃に足が不自由になっていじめの対象にもなったそうです。
しかし泉谷しげるさんの反骨精神に火が付き「負けてたまるか!」と思ったそうです。
70歳を過ぎた今でも、乱暴な振る舞いはこの影響があるようです。
心はやさしい泉谷しげるさんは、こども頃からの反骨精神が、今も強気な性格となって残っているのです。
泉谷しげるさんのような障害があると、子どものいじめは助長されるでしょうね。
子供だと特に、障害を持った人を悪気もなくからかいます。
それが原因でめげてしまう人もいます。
でも一方で、泉谷しげるさんのようにつらい過去にこだわらず、元気を振り絞って頑張っている人もいます。
ということは考え方次第ですね。
泉谷しげるの足の不自由が芸能界で役に立つ
泉谷しげるさんは、ミュージシャンだけではなく役者としても活躍。
1979年6月30日にテレ朝で放送されたドラマに出演。話題になりました。
そのドラマは「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」。
泉谷しげるさんは犯人役「小原保」を演じたのです。
このドラマでの泉谷しげるさんの演技は大反響を呼びました。
逸話としてドラマ放送後、町を歩いていた泉谷しげるさんに暴言を吐く人まで現れたのです。
「吉展を返せッ!!」
泉谷しげるさんの胸ぐらを掴み、絡まれたことも。純粋か?
このドラマの犯人「小原保」は足が不自由という設定。
その足の不自由さは見事にハマり、リアルな演技の泉谷しげるさんは高評価を受けたのです。
そのドラマ以降、泉谷しげるさんは俳優としての地位を確立。
実力俳優として今でもドラマに引っ張りだこなのです。
そもそもこの「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」というドラマ。
監督は恩地日出旦那さんでした。
そして、恩地日出旦那さんと共に泉谷しげるさんを俳優の道へと導いたのは、作家の向田邦子さんでした。
「お前の歌はどうでもいいけど、お前の横顔がいい。お前やれ。」
向田邦子さんは泉谷しげるさんにこう言い、半強制的に俳優の仕事をさせたのです。
向田邦子さんは泉谷しげるさんに俳優としての素質を感じたのでしょう。
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泉谷しげるさんの容姿は基本的に怖いです。そして数々の暴言。
また障害で足を引きずって役を演じている泉谷しげるさんの演技。
これらのたくさんの要素が視聴者に凶悪犯のイメージを植え付けさせたのです。
そして、このドラマでの泉谷しげるさんの演技は、半端ないリアル感にあふれていたのです。
泉谷しげるが嫌いな紅白に出場した理由と想い
泉谷しげるさんは一度だけ紅白歌合戦に出場。
2013年、第64回NHK紅白歌合戦で「春夏秋冬2014」を歌ったのです。
泉谷しげるさんはリハーサルからいつものように不機嫌。
2013年12月29日のリハーサル。
ドラムの人がアカペラのパートになっても叩き続けたことに腹を立ててブチギレ。
一応最後まで歌いました。
でも「やめたもう」と捨て台詞を吐いてステージを去ったのです。
バンドの人達は凍りついたのです。
引用:https://www.iza.ne.jp/kiji/
そもそも泉谷しげるさんが嫌いな紅白歌合戦に出演した理由は美輪明宏さんでした。
2012年の紅白歌合戦に美輪明宏さんは「ヨイトマケの唄」で出演。
世間でも大いに話題になりました。
フォークシンガーの泉谷しげるさんはメッセンジャー。
「ヨイトマケの唄」のメッセージとおなじくらいのメッセージを紅白で歌いたかったのです。
そして紅白歌合戦の会見でこう言いました。
「俺の時だけ歌詞出さないでほしいなってね」
紅白歌合戦の本番ではギター一本でステージに立った泉谷しげるさん。
紅白の観客にこう言い放ったのです。
「おい手拍子してるんじゃねえぞ! 誰が頼んだ!」
「今日がすべてが終わる、今日ですべてが変わる…テレビの向こう側でひとりで紅白をみているお前ら! 今年はいろいろあったろう。いろいろツライこともあっただろう。忘れたいことも、忘れたくないことも。今日は自分だけの今日にしろ、自分に向かってそっと歌え!」
このように叫び、マイクを使わず、ギターを鳴らして歌いまくったのです。
歌い終わるとスタッフにギター投げ渡しステージを去っていったのです。
この荒れ狂った泉谷しげるさんのライブは話題になりました。暴走ライブ。
後日、泉谷しげるさんにこの真意を尋ねるとこういいました。
「家で一人で見ている寂しい人、故郷に帰りたくても帰れない人と、テレビの向こう側の人に向かって歌っていたんだ。恵まれているやつには歌いたくない。来年オファーが来たら出ない。2度と出ません!」
この言葉から、幼少時代に「ポリオウイルス」で足が不自由になりカラカワれた日々。
でも、泉谷しげるさんは「負けてたまるか!」という反骨精神で芸能界で活躍。
この思いを全国放送の紅白歌合戦で歌うことに泉谷しげるさんにとって意義があったのです。
そして、2013年12月29日のリハーサルでの暴動を反省。
「すまんな、いつもやっていることなんで」
謝罪し頭を下げたのです。
謝るところは謝る。潔(いさぎよ)いですね。
泉谷しげるさんの曲を恵まれている人に歌を歌っても響きません。
「いい曲ですね」と言うだけ。伝えたいメッセージは伝わらない。
幼少期にポリウィルスに感染し、足に麻痺が残って歩くことが大変。
さらにその不自由そうな歩き方を見た周りの同級生からの悪口やいじめ。
そのような辛いことを幼少期に体験したことは想像にかたくありません。
そのことで乱暴なキャラクターを作っています。
でも、泉谷しげるさんの本当の心はとても優しい人なのです。
そのやさしい心と辛い人への想いが、この紅白でのメッセージに込められていたのでしょう。