今回は昭和の映画黄金時代の一人として、東宝ニューフェイスからデビューし、現在でも高年齢にもかかわらず、精力的に活動している宝田明さんについてお伝えします。
若い頃と現在や、母との壮絶な戦争体験、または宝田明さんは左翼などという声もあるようです。
また嫁や娘さん息子さんはどのようになっているのでしょうか。
そのようなことを下記で詳しく見ていきましょう!
宝田明プロフィール
芸名:宝田明
本名:寶田明
生年月日:1934年4月29日(享年87歳)
星座:おうし座
血液型:O型
身長:182cm
出生地:朝鮮(日本統治時代)・咸鏡北道清津(かんきょうほくどう、ハムギョンプクト)
出身地:ハルビン
ジャンル:俳優、タレント
デビュー年:1954年
デビュー作:書くて自由の鐘がなる(東映映画)
特技:中国語、英語
趣味:ゴルフ、料理、旅行
宝田明さんは中国のハルビンの出身ということで、その当時の社会情勢の影響があって、ハルビン市が出身地なのですね。
この頃は日本が朝鮮半島から中国大陸の一部を植民地化していたので、この頃は朝鮮半島または中国大陸に多くの日本人が出身地となりました。
そして身長が182cmということで、この年齢の人たちからすると、高身長なので芸能活動する前から評判があったのかも知れませんね。
宝田明の若い頃と現在の活躍
宝田明さんの若い頃の1953年に東宝ニューフェイスとしてオーディションを受け、何千人もの応募者のなかから見事合格し、俳優業をはじめます。
そして同年、19歳の時に映画「ゴジラ」で初主演を務められたそうです。
事務所から「主役をやらせてやる」と言われ、喜んで撮影初日に「新人の宝田明です。主役をやらせていただきます!」と挨拶すると、照明の親方に「バカヤロー!主役はゴジラだ!」と怒鳴られたそうです。
華やか雰囲気を持つ、若手イケメン俳優として、一躍スターの座に上り詰められた宝田明さん。
「連日連夜、銀座に繰り出していた」というエピソードがありますので、容姿だけではなく、その華やかな私生活が伺えます。
また若い頃は大酒豪だったそうです。
1960年代には、東宝と香港の合作映画「香港の夜」などに出演され、アジアを中心に、絶大な人気を博されたようです。
そして、1964年には「モスラ対ゴジラ」2004年には「ゴジラ FINAL WARS」と、ゴジラ作品に出演し、特撮映画に欠かせないスターとなられました。
日本で映画黄金期が終焉を迎えると、ミュージカル俳優として活動の場をシフトされたそうです。
80歳を過ぎた現在も、現役でご活躍されています。
若い頃のデビュー当初から、オーディションに合格すると即、ゴジラの主演が決まるのですから、宝田明さんの俳優としての期待が伺えます。
この時代の俳優は、銀幕のスターと呼ばれ、その私生活も豪快で、大酒豪という逸話も当然のようにありますね。
現代で大酒豪を主張しても、それほどマスコミは取り扱ってくれないでしょうし、現代の役者さんは、それほど豪快を売りにする方もいないようです。
宝田明・母との壮絶な戦争体験
宝田明さんは、東宝を代表する2枚目スターとして華々しい活躍を魅せた後、ミュージカルを中心に今なお舞台に立ち続けていて、とてもスマートなイメージがあります。
しかし宝田明さんは、子供の頃、ソビエトの満州侵攻で悲惨を極めた中国ハルピンからの引揚げてきた方でした。
宝田明さんは12歳で満州(現中国東北部)から引き揚げるまで、日本の地を踏んだことがありませんでした。
1945年8月9日夜、轟音(ごうおん)で家族全員が跳び起きたそうで、敵の飛行機が旋回し、ハルビン駅近くに火柱が立っていました。
そして1945年8月15日、宝田明さんは玉音放送で敗戦を知り、五臓六腑をえぐりとられたように、全身から力が抜けたそうです。
その後の、ソ連兵の日本人に対する略奪、暴行を目の当たりにしただけではありません。
食事中の宝田家の社宅に無言で入ってきたソ連兵が、電熱器やラジオ、母親の化粧品まで盗んでいったこともあり、その兵隊の腕には盗んだ腕時計が何個もまかれていたそうです。
すると宝田明さんの後ろに立っていたソ連兵が、耳の後ろに銃口を突きつけるのが見えました。
「あの冷たい銃口が顔にあたった感触は今でも忘れられません。いくら歯を噛みしめても、歯の根があわないんです」と宝田明さんは回想します。
宝田明さんの母親は終生語ることはありませんでしたが、ソ連兵に暴行を受け、宝田明さん自身も、ソ連兵の銃撃により九死に一生を得ています。
宝田明さんの腹から摘出された弾丸は、国際条約で使用が禁止されていた、激しい殺傷能力を持つダムダム弾だったそうです。
宝田明さんは、この悲惨な戦争体験によって、絶対的な戦争反対の立場を明確にしています。
宝田明さん自身、個人的には今日に至るまで、ソビエト連邦(現ロシア)に対する恐怖と憎しみが消えていないそうです。
過去の辛い出来事でも、ある程度年齢を重ねていくと想い出になる、といった表面だけの人間の心理を言う人もいますが、このように宝田明さんが受けた過去の出来事は、「想い出」にできるほど、たやすいものではなく、一生頭から消えない辛い出来事です。
今の政治家たちは簡単に隣国同士仲良くしましょう!と、未来に向けて前向きなことを言いますが、被害を受けた個々人の一般国民にとって、やり場のない気持ちがいつもでも続くのでしょう。
宝田明は左翼!?
2018年5月3日、憲法記念日。
群馬県高崎市の群馬音楽センターで「第34回5・3憲法記念日集会」が開催されました。
集会では「ゴジラ」などの映画出演で知られるベテラン俳優の宝田明氏と、元朝日新聞記者で市民団体「九条の会」世話人の伊藤千尋氏が講演しました。
現職の国会議員のほとんどが戦争を経験していないとした上で、安倍政権の目指す憲法改正について「しゃくに触る。私は怒っております」と語気を強めたそうです。
集会の壇上のスクリーンには、安倍首相をヒ◯ラーに模したコラージュ画像が映し出して、安倍政権を批判する場面もあった。
宝田明さんは、終戦直後に旧ソ連の軍人からの、非人道的な暴行を受けているので、安倍首相の憲法改正に対して、憲法9条(戦争放棄)まで変えられ、再び戦争になることの危機感は、戦争を経験していないよりも感じるのでしょう。
安倍首相をヒ◯ラーに模すことは、一見やりすぎのようにも感じますが、こういった行為をすることで、メディアで取り上げられるので、そういった意味では宝田明さんの思惑通りなのかもしれません。
メディアで取り上げられれば、批判も受けますが、憲法9条に関心を持つ人が触れるのではないでしょうか。
80歳を超えても、活動的にこういった集会に参加できる、宝田明さんの元気の源は、もしかするとお母さんなのかもしれません。
宝田明さんのお母さんは、旧ソ連の軍人に暴行を受けたようです。
宝田明さんは当然お母さんから産まれてきているわけですから、そのお母さんに暴行するということは、宝田明さんに対する冒涜とも言えるでしょう。
ましてや子供の頃の体験のなので、その衝撃は、計り知れはいほどの辛い出来事でしょう。
一般大学生が感受性に任せて「戦争反対!」と叫ぶよりも、何百倍ものエネルギーが込められているような気がします。
宝田明の嫁と娘と息子との関係
宝田明さんは1966年に日本初のミス・ユニバースに選ばれた、児島明子さんと結婚し嫁としました。
その後、2人の息子さんと1人の娘さんを授かります。
娘の長女は歌手で女優の児島未散さんです。
1990年に浅野温子さんが出演したシャンプーのCMソングに起用された「ジプシー」が大ヒット。
そして、1995年と1998年に「3年B組金八先生」の英語教師役で出演しています。
その後、アメリカに移住しますが、今は日本のライブハウスで音楽活動を再開しているそうです。
他の息子さん2人は芸能活動しているかの情報はありませんので一般の方だと思われます。
宝田明さんは若い頃からイケメンなので、ミス・ユニバースを嫁として迎えることができて羨ましいです。
宝田明さんは結婚されて息子さんと娘さんがいて、娘さんの児島未散さんは、お父さんと同じ芸能界で仕事をされていて、宝田明さんとしても喜ばしいのかもしれません。
宝田明の嫁との離婚理由
宝田明さんは1984年に児島明子さんと離婚してしまいます。
離婚の理由は宝田明さんの浮気と言われています。
そしてその後、宝田明さんはその浮気した不倫相手と結婚します。
その再婚相手は、1975年に宝田明さんとミュージカルで共演した16歳年下の女性でした。
児島明子さんとの離婚前に宝田明さんは、その16歳年下の女性を、宝田明さんの事務所に移籍させ、その後、その女性は芸能活動を停止し、宝田明さんの秘書になります。
その状況の中、児島明子さんは子供を連れて家を出たという報道もあったようで、宝田明さんは否定も肯定もしなかったそうです。
そしてその後に離婚が成立し、宝田明さんはその16歳年下の女性と再婚することになります。
また、離婚した児島明子さんは、宝田明さんから養育費は貰わなかったということです。
宝田明さんは16歳年下の奥さんとは、今も結婚生活は続いているようです。
ちなみに、娘さんの児島未散さんの名字が児島姓なのは、親権がお母さんの児島明子さんだからだと言われています。
宝田明さんは、ミス・ユニバースの児島明子さんと結婚し、3人の子供にも恵まれたにもかかわらず、不倫をし離婚してしまうんですね。
それほど16歳年下の女性が魅力的だったのでしょうか。
まぁ、ダンディな宝田明さんですから、いろいろな女性とお付き合いすることが多いでしょう。
その沢山お付き合いした女性の中で、80歳を超えても結婚生活が続いている今の奥さんが、宝田明さんにとってお母さんのように最高の女性なのかもしれません。
宝田明さんは、子供ころの辛い想い出を背負って、東宝ニューフェイスとして芸能活動が始まります。
現在でもテレビや映画などで活躍している宝田明さん。
一方で、子供の頃の戦争体験から、憲法9条(戦争放棄)を重んじ、安倍政権が掲げる憲法改正に懐疑的な考えがあるようです。
この主張は子供ころの戦争体験ではあるようですが、やはりお母さんの暴行という悲劇が、80歳を超えても宝田明さんが精力的に活動できる要因ではないかと思います。
この宝田明さんの行動を左翼と批判する人がいますが、宝田明さんのような人がいるからこそ、集団が一方向に向かわないという抑止力になるのかもしれません。
そういう意味ではとても貴重な存在です。