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内藤剛志の嫁はデザイナーで子供はジブリ!若い頃からの行動力で成功者!?

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今回は、十津川警部シリーズや刑事役で大活躍している、内藤剛志さんについてお伝えします。

内藤剛志さんの嫁さんはデザイナーで、娘さんはジブリ?とか沢口靖子さんとのキスシーンで不倫とか言われていいますが、一体どういったことでしょうか。

また、内藤剛志さんの自宅や猫に関して書きましたので、以下で詳しく見ていきましょう!




内藤剛志のプロフィール


引用:https://www.dreamnews.jp/

本名:内藤剛志(ないとう たかし)
生年月日:1955年5月27日(年齢68歳
星座:双子座
出身地:大阪府大阪市(現、中央区)
血液型:O型
身長:183cm
体重:77kg
職業:俳優、声優、タレント、司会者
学歴:星光学院高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科中退
趣味:トランペット、サックス等の楽器演奏
事務所:阪口京子事務所

引用:https://ja.wikipedia.org/

内藤剛志さんの年齢はすでに還暦を超える年齢です。

身長も183cmと長身で科捜研の女などを中心にドラマで活躍していますね。

2時間ドラマにも多く出演している姿を見ていると、還暦を超えた年齢には思えません。

それほどパワフルな迫力を感じるのでまだ50台後半ぐらいと思うくらい若々してます。




内藤剛志の嫁は帽子デザイナー


引用:https://xn--u9j001jhxfs7vtln6nc40p.com/

内藤剛志さんの嫁は帽子のデザイナーをしています。

さらに制作や販売もやっている帽子の職人のような女性です。

内藤剛志さんのお母さんが実は人形制作の先生です。

そういった物を作るお母さんから育ったので物を制作する女性に惹かれたのかもしれませんね。

嫁との馴れ初め

内藤剛志さんと嫁さんの馴れ初めは予備校時代にさかのぼります。

大学を浪人してるときに同じ予備校にいた嫁さん。

その嫁さんに内藤剛志さんから声を掛けたようです。

内藤剛志さんが嫁さんに積極的に声をかけた一つの理由は共通の趣味があったからのようです。

その趣味というのは楽器演奏。

共通の趣味があると声をかけやすいので浪人中でも積極的に声をかけたようです。

逆に一人で浪人して勉強してると辛いです。

そんなときに息抜きという感じで共通の趣味のある女性と戯れることができるのは受験勉強がはかどりますね。

その後、内藤剛志さんと嫁さんは8年の交際をし1982年に結婚してます。

当時の内藤剛志さんの年齢は27歳。結婚適齢期でした。

予備校生のときに嫁さんに声を掛けてその後一途の内藤剛志さん。

もしかすると初恋の女性と結婚する一途の男性なのかもしれません。




内藤剛志の子供はジブリのアニメーター


引用:https://sakaguchikyoko.com

内藤剛志さんは嫁と結婚したその1年後の1983年に子供を授かってます。

性別は娘さんで共働きで育てたそうです。

現在の年齢は39歳で一人っ子です。

なので相当可愛がられて育ったでしょう。

娘さんの職業はジブリのアニメーター。

大学でグラフィックデザインを勉強しその流れでアニメーターをしているようです。

娘さんがジブリのアニメーターをしてるので父・内藤剛志さんの仕事にジブリ作品が多くなったと言われていました。

その作品というのは以下の3つ

  1. 千と千尋の神隠し
  2. ゲド戦記
  3. コクリコ坂から

逆に、内藤剛志さんがコネで娘さんがジブリの仕事ができているとの噂もあります。

そのことで内藤剛志さんは言います。

「娘自身の実力」

引用:https://koimousagi.com/

時系列的に娘さんがジブリの仕事をするようになってから、内藤剛志さんがジブリ作品の仕事が増えたそうです。

そのため内藤剛志さんがいい意味でジブリの仕事をもらっているようですね。

娘の名前と大学と画像

娘さんの名前と大学・画像などは非公開です。

一般人なので公開する意味もないようなので非公開です。

芸能界にも興味がなく、子供の頃からの夢がアニメ制作だったようです。

父・内藤剛志さんのように表に出る仕事よりも、帽子デザイナーのお母さんのようにコツコツを仕事をする仕事の方が向いているようですね。

父を呼び捨てにする娘

娘さんは父・内藤剛志さんを「タカシ」と呼び捨てにしています。

それは内藤剛志さん自身が娘さんに呼び捨てにさせているようです。

その理由は父はあくまでも役割だからというもの。

お父さんは名前ではないので「タカシ」と呼ばせているようです。

この発想は親と子の関係に上下はないということを言いたいようです。

年齢が上だからというだけで威張るのではなく常に公平。

家事なども分担してやるようです。

足りないところは助け合う、そういった精神がこの一家にはありそうです。

なのでフレンドリーな良い親子関係ができているのかもしれません。

このような欧米的なフレンドリー親子関係から、良く家族旅行に行ったりしているようです。

嫁さんも娘さんも内藤剛志さんのように協力的な人で良かったですね。

娘さんもこのようなお父さんに育てられたので反抗期とかはなかったかもしれませんね。

現在でも娘さんとは仲がよく、誕生日には娘さんからプレゼントをもらうようです。

特に内藤剛志さんが嬉しかった誕生日プレゼントはパーカー。

本当に内藤剛志さんは喜んだそうです。

お母さんは子供の剛志を命がけで産んだ

内藤剛志さんのお母さんは命がけで内藤さんを産んだようです。

妊娠中に病気に罹ったお母さん。妊娠してるので麻酔をせずに手術をしたそうです。

その後、内藤さんを出産。その命がけの出産にお母さんに頭が上がらず感謝しかないといいます。

その影響もあり、女性に対してジェントルマンなのでしょう。

そしてお母さんのような趣味を持つ嫁さんと予備校で出会ったことが内藤さんの運命を決定づけたようです。

娘さんに「タカシ」と呼びつけにせることは、人間は同等であって格差などない。

そういった気持の表れなのかもしれませんね。




内藤剛志が嫁と猫が住む都内の自宅のマンション


引用:https://thetv.jp/

内藤剛志さんの自宅は東京都内のマンションに住んでいます。

20階建てで嫁さんのほかに2匹の猫がいるようです。

関西出身なので京都に住んでいるとの噂もあります。

しかし自宅は東京都内です。

内藤剛志さんは猫好きで有名です。

2011年の東日本大震災のとき、自宅のマンションには猫二匹しかいなかったそうです。

そのため心配で急いでマンションの20階まで駆け上がったそうです。

大地震だったのでエレベーターは止まっていたのでしょう。

当時の年齢が56歳だった内藤剛志さんとしては20階まで登るのは大変だったでしょうね。

それでも猫の安否を確認するのに必死で登っていったことが想像できます。

猫の名前と種類

愛猫の名前はニュイとチャイです。

ニュイは雄猫でロシアンブルー。チャイも雄猫でソマリです。

二匹の猫は家族同然で、東日本大震災のときに猫が長生きすることを願ったようです。

猫について内藤さんは言います。

猫は生きることの素晴らしさを見せていくれる存在

引用:https://myfavoritetopics.net/

猫は自由気まま。その様子を見てるだけで楽しいようで本当の自由を感じるのかもしれませんね。

飼い猫はストレスフリーで、のんびり日光浴。

何にも縛られていない感じが、内藤剛志さんの心を刺激するのかもしれません。




内藤剛志は若い頃から行動力で大成功!


引用:https://twitter.com/

内藤剛志さんには子役時代がありました。

子供の頃からピアノや児童劇団に入って、テレビや映画に出演していたのです。

中学生になるとサックスに興味を持ち習い始めます。

高校生になるとテナーサックスを購入するためにアルバイトをしました。

ただそのアルバイトは40日間泊りがけのバイトで10万円稼いだそうです。

その10万円でサックスを買い、同級生4人とジャズバンドを結成しました。

文化祭やジャズ喫茶で演奏し、将来的にジャズミュージシャンになるのが夢だったのです。

高校を卒業すると上京しと「飯田ジャズスクール」に入学。

しかしその後内藤剛志さんの心に俳優という文字が浮かんだそうです。

その理由はジャズミュージシャンでは食べていけないというもの。

子役をやっていたこともあり、俳優の道を歩むようにしたようです。

内藤剛志さんの子供の頃から行動を見ると、思ったときが吉日のような行動力です。

やりたいからまずやってみる。

そしてだめなら次のステージみたいな感じです。

一つのことにこだわることなく、自分に合ってることを探す旅。

自分を見つけるためにはいろいろと行動することが大事のようです。

大学生で主演

日本大学芸術学部映画学科に入学した内藤さんは同級生が監督した自主映画の主演を務めます。

その監督とは長崎俊一さんで題名は「獏をぶっ殺せ」「造花の枯れる季節」など。

その後大学は中退し16期生として「文学座研究所」に入所します。

1980年25歳のときに「ヒポクラテスたち」で映画デビュー。

その後はたくさんのテレビドラマや映画に出演します。

最初の頃は刑事ドラマの犯人役が多かったそうです。

しかし1991年36歳のときに「ホテルウーマン」で沢口靖子さんと初共演。

その後からいろいろなところから役が回ってきたそうです。

それが今の内藤剛志さんに繋がっています。

家なき子が転機

内藤剛志さんを一躍有名にしたのが「家なき子」。

1994年のドラマで39歳のときです。

安達祐実さんをいじめる酒浸りで凶暴な父親。

ドラマが大ヒットしたことで内藤剛志さんも超有名になったのです。

その後は2時間ドラマやドキュメンタリー番組に出演。

情報番組や音楽番組の司会をしたりバラエティ番組にも出演し幅広く活躍しました。

現在は「科捜研の女」が超有名で「警視庁捜査一課長」「十津川警部シリーズ」では主演です。

刑事役と言ったら内藤剛志さん。

音楽で生活できないと判断し、役者として生きていくことを決めると、怒涛のごとくどんどん役者としての下積みを重ね、「家なき子」という転機を迎えると、俳優だけではなくたくさんの仕事をこなして大成功。

悩むことなく次から次へとたくさんの仕事をこなした成果が出ているようです。

今では主役を演じる俳優さんになった姿を見ると、内藤剛志さんの仕事に対する真面目な姿勢は尊敬に値します。